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番匠百年の歴史

番匠の名の由来

そもそも番匠家の祖先は伊勢国の宮大工でしたが、福井城築城のため当地に移ってきたという経緯があります。「番匠」という名前は城内での棟梁の呼び名で、これがやがて屋号となり商号となりました。城内の棟梁だった番匠岩吉は几帳面な性格をかわれ、城主から台所番頭に任命されて食料を扱うようになったと伝えられています。

国鉄北陸本線開業の折、福井駅敷地の買収交渉が難航しておりましたが、祖先の番匠岩吉らが奔走し用地取得に貢献しました。その功績が認められて福井駅開業から6年後の明治35年(1902年)、政府から福井駅構内での営業権を与えられ駅弁の番匠本店が開業しました。

歴史写真

初代岩吉は大正二年北陸線が全通した時、製菓工場を建て羽二重餅の販売を開始しました。羽二重餅は福井県の名菓として全国に知られています。大正・昭和の激動の時代にも福井駅における構内営業で駅弁販売を続け、看板商品である「越前かにめし」をはじめ番匠のお弁当は福井の顔として現在に至るまで広く皆様に愛されて続けています。

すごろくに見る番匠本店

明治37年(1904年)の北陸朝報の付録として「福井県実業家案内すご録」が発行されました。その中に番匠本店が1コマとして登場しています。このすごろくは福井県内の当時の事業内容をみることができる貴重な資料です。

すごろく写真